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原点を思い出した

ライブペインティングをしてからというもの、わたしのいのちはSOSを出していた。

そうこうしているうちに忙しくなり、

たくさんの未来の方向へ思考が散り散りになり、

いのちが置いてきぼりになったのだ。

毎日大切にしていたのに。

世界と繋がっていたのに。

どんどん悲しい顔になっていく。

苦しい悲しい苦しい悲しい、いのちはずっとSOSを出す。

わたしを本質へ引っ掛けてなんとか繋いでくれていたのは「生々しさ」の感覚だった。

ライブペインティングの飛び散る絵の具の生々しさ、

ドローイングもこれまでよりうねるような表現へ変化した。

切り株から立ち上るエネルギーの生々しさ、

炎を囲んで踊る人間の生々しさ、

しきりにわたしは「生きている感じがする」と言葉を発する。

しかし、思考は物事の認識を未来に急ぎ、今を生きている実感からいのちを遠ざけた。

心の内側の繋がりを求めた。

心の内側と繋がりあえる友人と出会えた。

頭は「あれをやらなきゃこれをやらなきゃちゃんと仕事するために」

いのちは悲しくなる。

心は楽しさを求めた。

心ひらいて場を食を分かち合った。

頭は「次にこうしてその次にいつまでにこうしてこれはこうなってだからこう」と説明しだす。

いのちは泣いた。

わたしはわたしの世界から遠ざかっていた。

エネルギーに満ちた、感覚の世界から。

生きたい。

生きたい。

いま生きていたい。

フルヌードの経験

月経の血

この二つで、わたしのいのちは最大限の反応を示した。

ここでやっといのちの声がきこえた。

「わたしはナマモノだ」と叫んでいる。

「いま、いきている、わたしを、みて、わたしは、ここだけにいる」

そうだ。

思い出した。

あの、生々しさ。

あの、苦しくて悲しくてだけど本当に生きていたかったあの頃。

アートがなければわたしはとっくに死んでいた。

あるいは人間の心の原型をとどめていなかった。

わたしのボディペインティングが生まれたあの時。

それはいのちの叫び。

わたしの原点。

わたしのボディペインティングは、絵じゃない。絵じゃないんだ。

血液であり、肉体の一部であり、生きた人間になろうとしたんだ。

わたしはいつもアートしているとき本当に生きていて世界と一つだ。

いのち、ごめんね。

思い出したよ、ありがとう。

そして話を根気よく聴いてくれた愛すべき友人に、ありがとう。

わたしはわたしのいのちのために、

アートしたい=生きていたい。

頭で理解されなくて構わない。

そんなことしたいんじゃない。

ただなんでもなく、泣けばいい。

生きればいいんだよ。