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無償で無限の愛 ”いのちのために”のその先

Photo by Masayo Kimura

前回のブログの後、わたしは休暇をとった。

そして繋がった。

世界はひとつだった。

世界は流れるパーフェクトだった。

そんないまが全てだった。

気づけた。

全部のおかげで気づけた。

ありがとう。

成功とか、目的とか、お金とか、どうでもいい。

考える必要もないのだ。

こうしたい、こうなりたい、それもない。

全部もうあった。

「アーティストとして」と考え始めたことからわたしは自分で作り出したパラレルワールドにいた気がする。

肉体の命を絶とうとした経験によって、逆に、命の完全燃焼を生きているうちに何とか成し遂げようともしていた。

感じている世界のエネルギーが絶対的すぎて、経済と肉体の物質的メリットといつも葛藤していた。

未来を思い描いて、そこから逆算して、いまやるべきことを課していた。

義務感で動く。

「わたしはこうであるべきなんだ」

完成形が未来にあるから、いまの自分は常に満たされない。

「ああ、まただめだ、限界までやったのに。次はここをやらなきゃ、、、やらなきゃ、、、」

自分のことでいっぱいいっぱいになった。

何とかしようと思考が空回りし始めた。

理由をいちいちつけた。

言葉に無理やり変換した。

わかりやすくするためにひとつひとつ区別した。

心・身・魂も分裂していった。

物事が複雑になった。

ストレスが増えた。

いのちがリアルワールドからSOSを発し続けていた。

ノイズでザザザザとなりながら聴こえてくる。

“いのちの流れがいますでにここにあるの、気づいて!”

生まれてからずっと感じ続けてきた声。

何か経験するたびに、表現するたびに、生きる力とか、生命力とか、湧き出る泉とか、エネルギーの循環とか、心の対流とか、そういう言葉に置き換えてみては、なんか違うともがいていた。何だこれは何だこれは何だこれは。

描いては、必死にそれにすがりつく。

描いている時は、ひとつだった。流れていた。誰かがいる時は何かが最もスムーズだった。それが答えだった。

全ての点と点が繋がって、としか言いようがないのだけど、

わたしは宇宙のエネルギー循環と繋がり、無償かつ無限の愛を与えるただのひと。

宇宙とつながるには魂が必要で、与えるには心と身が必要。

魂・心・身ぜんぶ合わせていのち。

いわゆるアート作品として与えるんじゃなくてもいいのだけど、わたしはたまたま色や形や質感に自動変換されるので、

あやめさんはそっち担当でよろしくってことで生まれてくるときにそうなったのだと思う。

わたしがぐるぐる悩んでいるときや空回りしているとき、いろんな人の意識を巻き込んでしまった。

惑わせてごめんなさい。

でも、

ありがとう。

みんな愛してる。