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展示期間終了 ありがとうございました!

 

「みことのいろ-春-」展にお越しくださり、ありがとうございました。

 

本当にたくさんの方々のご協力を得て、制作・展示をさせていただくことができました。

 

展示期間中、初めましての方も、駆けつけてくださった方も、パフォーマンスに来たかったのだけど当日行けなくて、、、という方も、皆様と交流でき、そして、作品の世界観に少しでも触れていただけて、本当に嬉しかったです。

 

2日間という短い期間でしたが、次へとつながるご縁をいただくなど、感謝がやみません。。。

 

私の作品との出会いが、また、皆様との一期一会が、できる限り魂ゆさぶる瞬間となり未来を生きていく力となるよう、日々、自己の価値観の破壊と創造を繰り返し、最新の私であり続けるよう精進してまいります。

 

これからもどうかお見守りください。

 

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Rain Drops

クリニックのエントランスの壁。

さて、どうしよう。

エントランスと待合室は、ガラス面が大きく、空のエネルギーを感じた。

開放的、浮遊感。それでいて落ち着く。その感覚に身を委ねられたら、体調が悪い人も気持ちが和らぐのでは。

頭の中でふわふわとイメージが降りてくる。

いろんな色と形、丸みのあるシルエット、動き。

頭の中はすでに水滴とリズムでいっぱいだった。

、、、今回は絵、じゃない、かも、、、。

感覚の監督がすでに創る気満々だった。

それから、98%くらいは「どうやって創るか?」で頭がいっぱいだった。

雨の日に屋外のテーブルにできた水滴たちの集まりがモチーフになっていて、その時のスケッチが一枚。それから感覚の記憶と空のエネルギーをミックスした”何かこんな感じ”というのだけが明確にあって、なんかとにかくこういった感じのを創りたいんですけど、どうすれば良いでしょうか?の質問ループが始まった。

ご縁というものは恐ろしいもので、その質問をするにジャストな出会いがジャストなタイミングであったりする。

その助言や素材との出会いによって、かろうじて一つ作業が進む。

手を進めては次の手に行き詰まり、人と話す。そしてまた一つ進む。

自然界と人に想いをはせる制作過程はとても有機的なもので、

私の心境は、ランダムな色の混ざり合いを楽しむ色彩表現にも表れた。

目に見えない何かを感じて幸せな気持ちになった。

単に物質的なインパクトとかじゃなくて、”無”や”ありのままそのまま”が持つ無限性を感じて豊かな気持ちになった。

それが、白と半透明の凹凸でできた土台の陰影に表れた。

下地に使用した”ジェッソ”は、学生時代、ファインアートに憧れていたとき、油絵学科の友人に教えてもらったものだ。

作品は高さが2メートル以上あり、設置の作業までも最後の最後まで助けを借りて、ようやく人目に触れられるようになった。

ありがとうでいっぱいだ。

水滴のようで空のようで、紛れもなく、その時のわたしを構成している”世界”や”つながり”が形になった作品な気がした。

 

 

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無償で無限の愛 ”いのちのために”のその先

Photo by Masayo Kimura

前回のブログの後、わたしは休暇をとった。

そして繋がった。

世界はひとつだった。

世界は流れるパーフェクトだった。

そんないまが全てだった。

気づけた。

全部のおかげで気づけた。

ありがとう。

成功とか、目的とか、お金とか、どうでもいい。

考える必要もないのだ。

こうしたい、こうなりたい、それもない。

全部もうあった。

「アーティストとして」と考え始めたことからわたしは自分で作り出したパラレルワールドにいた気がする。

肉体の命を絶とうとした経験によって、逆に、命の完全燃焼を生きているうちに何とか成し遂げようともしていた。

感じている世界のエネルギーが絶対的すぎて、経済と肉体の物質的メリットといつも葛藤していた。

未来を思い描いて、そこから逆算して、いまやるべきことを課していた。

義務感で動く。

「わたしはこうであるべきなんだ」

完成形が未来にあるから、いまの自分は常に満たされない。

「ああ、まただめだ、限界までやったのに。次はここをやらなきゃ、、、やらなきゃ、、、」

自分のことでいっぱいいっぱいになった。

何とかしようと思考が空回りし始めた。

理由をいちいちつけた。

言葉に無理やり変換した。

わかりやすくするためにひとつひとつ区別した。

心・身・魂も分裂していった。

物事が複雑になった。

ストレスが増えた。

いのちがリアルワールドからSOSを発し続けていた。

ノイズでザザザザとなりながら聴こえてくる。

“いのちの流れがいますでにここにあるの、気づいて!”

生まれてからずっと感じ続けてきた声。

何か経験するたびに、表現するたびに、生きる力とか、生命力とか、湧き出る泉とか、エネルギーの循環とか、心の対流とか、そういう言葉に置き換えてみては、なんか違うともがいていた。何だこれは何だこれは何だこれは。

描いては、必死にそれにすがりつく。

描いている時は、ひとつだった。流れていた。誰かがいる時は何かが最もスムーズだった。それが答えだった。

全ての点と点が繋がって、としか言いようがないのだけど、

わたしは宇宙のエネルギー循環と繋がり、無償かつ無限の愛を与えるただのひと。

宇宙とつながるには魂が必要で、与えるには心と身が必要。

魂・心・身ぜんぶ合わせていのち。

いわゆるアート作品として与えるんじゃなくてもいいのだけど、わたしはたまたま色や形や質感に自動変換されるので、

あやめさんはそっち担当でよろしくってことで生まれてくるときにそうなったのだと思う。

わたしがぐるぐる悩んでいるときや空回りしているとき、いろんな人の意識を巻き込んでしまった。

惑わせてごめんなさい。

でも、

ありがとう。

みんな愛してる。

 

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原点を思い出した

ライブペインティングをしてからというもの、わたしのいのちはSOSを出していた。

そうこうしているうちに忙しくなり、

たくさんの未来の方向へ思考が散り散りになり、

いのちが置いてきぼりになったのだ。

毎日大切にしていたのに。

世界と繋がっていたのに。

どんどん悲しい顔になっていく。

苦しい悲しい苦しい悲しい、いのちはずっとSOSを出す。

わたしを本質へ引っ掛けてなんとか繋いでくれていたのは「生々しさ」の感覚だった。

ライブペインティングの飛び散る絵の具の生々しさ、

ドローイングもこれまでよりうねるような表現へ変化した。

切り株から立ち上るエネルギーの生々しさ、

炎を囲んで踊る人間の生々しさ、

しきりにわたしは「生きている感じがする」と言葉を発する。

しかし、思考は物事の認識を未来に急ぎ、今を生きている実感からいのちを遠ざけた。

心の内側の繋がりを求めた。

心の内側と繋がりあえる友人と出会えた。

頭は「あれをやらなきゃこれをやらなきゃちゃんと仕事するために」

いのちは悲しくなる。

心は楽しさを求めた。

心ひらいて場を食を分かち合った。

頭は「次にこうしてその次にいつまでにこうしてこれはこうなってだからこう」と説明しだす。

いのちは泣いた。

わたしはわたしの世界から遠ざかっていた。

エネルギーに満ちた、感覚の世界から。

生きたい。

生きたい。

いま生きていたい。

フルヌードの経験

月経の血

この二つで、わたしのいのちは最大限の反応を示した。

ここでやっといのちの声がきこえた。

「わたしはナマモノだ」と叫んでいる。

「いま、いきている、わたしを、みて、わたしは、ここだけにいる」

そうだ。

思い出した。

あの、生々しさ。

あの、苦しくて悲しくてだけど本当に生きていたかったあの頃。

アートがなければわたしはとっくに死んでいた。

あるいは人間の心の原型をとどめていなかった。

わたしのボディペインティングが生まれたあの時。

それはいのちの叫び。

わたしの原点。

わたしのボディペインティングは、絵じゃない。絵じゃないんだ。

血液であり、肉体の一部であり、生きた人間になろうとしたんだ。

わたしはいつもアートしているとき本当に生きていて世界と一つだ。

いのち、ごめんね。

思い出したよ、ありがとう。

そして話を根気よく聴いてくれた愛すべき友人に、ありがとう。

わたしはわたしのいのちのために、

アートしたい=生きていたい。

頭で理解されなくて構わない。

そんなことしたいんじゃない。

ただなんでもなく、泣けばいい。

生きればいいんだよ。

 

 

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ハーブティーからのエネルギー

 

お打ち合わせで、ハーブの処方とカフェのお店「ROOT」へ。

フレッシュなインスピレーションを大切にしているので、私の活動は必ず、

その人・その場所・その空間を”体感する”ことから始まります。

ROOTは根という意味です。

その名の通り、店内には大地のエネルギーで溢れ、光のエネルギーが濃縮されていました。

わたしはこちらでハーブティーをいただきました。

中身はその時の私の五感に合ったものを。

香りを感じると、私が生まれてから感じてきた大地と光の記憶が蘇りました。

乾いた葉っぱを踏みしめながら歩いた秋の小道、

木漏れ日のはかなさと少しのあたたかさ、

その間をかすかに吹く朝の風。

ROOTには薬剤師さんがいて、ハーブを”処方”してくださいます。

私はこの日、ハーブティーをいただいて、

処方して実現することは、その時に必要なエネルギーを補い、

そのエネルギーの力を借りて心と体の記憶(機能)を蘇らせることによって、

飲んだ人が元気になることなのだと理解しました。

 

この日、ROOTではランチとシフォンケーキのプレートを振舞ってくださいました。

一つ一つに植物のエネルギーと個性が感じられ、五感を楽しく使って味わいました。

プレートの植物はお店のお庭で育てられているもので、全て食べることができます。

直前に摘んできてくださいました。

盛り付けはわたしが…タイトルは”秋の吹き溜まり”です(笑)

いろんな素敵なものたちが秋の風に乗ってやってきたイメージですがタイトルがちょっとあれですかね…。

 

気持ちの良い、かつ、エネルギッシュなインスピレーションが湧いてきそうです。

皆様もぜひ体感してみてください。

 

ハーブカフェ ROOT

https://tabelog.com/ibaraki/A0802/A080201/8019545/

駐車場には限りがありますので、乗り合わせでお越しください。

お近くの方はお散歩がてら。

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生きること

わたしは感覚の世界(目に見えない)と物質の世界(目に見える)、2つの世界に生きている。

皆、そうだと思うのだけど、わたしは特に感覚の世界に大きく偏って感じている。

例えば、空を見上げた時、「青い」「曇っている」「鳥がいる」などは物質の世界。

「つながっている感じ」「平和的」「エネルギーを感じる」「たくさんの色を感じる」は感覚の世界。

わたしは、建物や木々、人や地形すらその形状をしたエネルギーの塊として受け取り、更に有機物は周囲と被って見える(エネルギーが循環して代謝して常に変化している感じに見える)ので、

人の顔をちゃんと覚えられなかったり、時間軸がわからなくなったり、よく道に迷う。

 

先日、原因はわからないけれど、感覚が働かなくなった時があった。

完全に物質しか見えなくなって、そうしたら、

自分が世界のどこに存在していて、どこへ向かって行くのか、全くわからなくなった。

恐怖だった。

骨と肉と皮がついてる人形になった気分だった。

空と植物と空気と、会話を、しなくては。

わたしどうやってたんだっけ、、、?

とにかく外に出て、植物に触れることにした。

アトリエのそばの林へ行った。

林には樹齢300年ほどの杉の木があって、そのうち2本は、今年の台風で折れてしまった。

その後、いくつかに解体されて並べられている。

その一つに腰掛けた。

すると、自分の体温よりちょっと低いくらいの何かがわたしの上半身に下から満ちて行くのを感じた。

木々の間を風が吹いた。

木々の木漏れ日の色が見え、風の形が見えた。切りたての杉の断面からは、生ぬるい何かが上へ上へほとばしっていた。

わたしは感覚の世界に戻った。

 

 

この経験はわたしに重要な気づきを与えてくれた。

「自分が世界のどこに存在していて、どこへ向かって行くのか」

地理的にどこにいて、どこへ移動するかではない。

感覚は生きることそのものを教えてくれている。

 

 

目に見えない世界と繋がっていながら、目に見える世界と関わることに、自己分裂しそうな苦しさを感じることはたくさんある。

ずっとそうだった。

わたしはもっとわたしとして世界で生きていたい。

はじまりは本当にただそれだけだ。